海外に行くと思わぬ事に出会いびっくりしたり、困惑したり、楽しみはたえない。
今の子供は、「ジャンケン」をするときに“最初は、グー”と気合をかけるらしい。
我々が子供の頃はそんなことはなかった。第一、「最初」なんぞという漢語は誰も知らなかった。わかるのはせいぜい「はじめ」ぐらいで、そんな名前の友達がいた。
さて、1960年代後半、トルコに在勤して間もない頃のことである。勤務を終えて自宅にいると時々電話がかかってくる。電話器があるのだから、当然と言えば当然のことで何の不思議もないわけだが、受話器を取ると、先方の第一声は、「あんた誰?」、である。例外はない、みんなそう言う。こっちは何事が起ったのかと電話機に駆けつけ大慌てで受話器をとっているのに、初っ端、「あんた誰?」とくる。読んでいた新聞や本を閉じたり、やっていることを中断したりして電話に出たのに何たることか!あんたこそ誰なんだ。こっちがだれかわかっているから電話で呼び出したのだろう。とむかっ腹が立ってくる。しかし、待てよ、これはテロリストが誘拐準備として在宅確認をしているのかもしれない、最近イスラエルの領事が極左グループに誘拐されたぞ。あるいは、空き巣狙いが留守かどうか試しているのかもしれないなー。などとおもいながら,最初のうちは丁寧に名乗っていたのだが、それが毎回となるとつい穏やかでなくなる。「そう言うあんたはどなた?」、ついには、「おまえこそ誰なんだ!」とけんか腰になる。
ある日、知り合ったトルコ人にそのことを聞いてみるとこんな答えが返ってきた。
トルコでは電話がよく混戦して、ちゃんとダイヤルしたのに間違ったところにかかることが多い。そこでマナーとして、まず電話口に出た相手が誰か、ダイヤルした先にちゃんとつながったかどうかを確認してから用件を話すことになっている。
なるほど、そうだったのか。所変わればマナーも変わる、聞いてみなければわからないものだ、といたく感じいったのを覚えている。「最初は、あんた誰?」か。マァー、変ないたずら電話でも、誘拐犯の所在確認でも、また“おれおれ”詐欺の電話でもないのだから、良しとしなければなるまい。
あれから半世紀近く、トルコの電話事情も改善されただろうし、もうそんなマナーはなくなっているだろう。でも、世界のどこかではまだこんな電話がしょっちゅうかかってくる所があるのかもしれない、そんな社会では一瞬の油断が命取りにもなるだろう、とも思う。